続々登場ジェミー!

女性服の通信販売は民主主義社会(男女同権社会)でなければ成立しないのだった。
それではそろそろ、家父長に代って主婦や働く女性が消費者の主役になっていた『通販生おいおい、実際に腕を通して着てみなければ似合うかどうかわからない服が、なぜ、通信販化で「街では入手しにくい服」に仕上げたという話だけでは納得できないよ。
似合うかどうかわからない不安を通信販売はどうやって克服できたの?似合うかどうかの不安は、通信販売だからこそ克服できたのさ。
『通販生活』の商品とひとまとめにして、次章で説明してあげる。
準備に2年間もかかってしまった理由は、「街では入手しにくい生活雑貨」の仕入に手こずったからだった。
創刊の当時、すでにカタログの横並び化は始まっていた。
どこのカタログを開いても、判で押したように同じような品目の低価格商品が並んでいた。
生活雑貨の仕入ルート(問屋)が少ないためにかなり重なっていたということだ。
そんな従来のカタログ戦略、つまり、入手しやすい大量生産晶を価格訴求によって入手しにくい商品に加工するカタログ戦略を追随するのはイヤだった。
言葉通りに「街のお店では入手しにくい生活雑貨」でカタログを埋めたかった。
『服』についてはまったくの門外漢だったので初めから手を出すつもりはなかった。
といって、『ルームランナー』のような「衝では入手しにくい生活雑貨」をいちいちつくっていくことは物理的にも資金的にも不可能だ。
理想は「まだ街に出回っていない新商品」で1冊を理めることだったが、とてもムリだった。
当時のカタログのおおむねは低価格をウリにしていたわけだから、「カタログの商品は低品質だ」というイメージがすっかり定着していて、メーカーや輸入商社にかけ合ってもまるで相手にしてもらえないケースが多かった。
「これからデパートに出そうと思っているのに、なんで通信販売に出してわざわざイメージダウンさせなくちゃいけないわけ?通信販売に出しちゃったらデパートが陳列してくれなくなってしまう」手分けして問屋や輸入商社にかけ合っても、返ってくる反応はひとしくこんなものだった。
いまは通販業界専門の、つまり「通信販売でしか買えない商品」専門の通販問屋がどっさり存在するけれど、当時はまったくと言っていいくらいに存在しなかった。
仕方ないので少し妥協して、「すでに街に出回っているけれど、量が少ないから消費者がおいそれとは見つけにくい商品」に照準を合わせた。
つまり、鮒佐の佃煮的商品。
もっとも、「カタログで売ってもいいよ」と言って問屋や輸入商社が回してくれる商品のほとんどは、量が少なくてあまり出回っていないというよりは、売れないから出回っていないケースのほうが多かったけれどね。
そんな妥協で商品を集める見通しも生まれたので、創刊にふみ切った。
『通販生活』は初めから有料で出発した。
当時から「カタログは無料」が常識だったが、あえて有料(創刊時は1冊150円)で出発した。
その理由は第1章でも説明したように、第3種郵便の認可をもらうためだった。
第3種は有料が絶対条件だったからだ。
「読み物もつけて一般の雑誌として販売する」のでなければ、第はカタログを安くつくれるという計算から第3種1有料を決断したわけだけど、決断の内側には、「カタログは無料で」という横並び化へのつよい反発もあった。
他のカタログとはひとめで違いがわかるカタログをつくりたかった。
つくれなければ失敗すると思った。
街のお店だけではなくて、競合するカタログでも見ることのできない商品をのせないかぎり、ひとめで違いのわかるカタログにはならない。
よそのカタログでは見られない商品を紹介するのだからその商品情報(広告)は有料であって当然だ。
つくる側としても有料読者を相手にするのだから、よその無料カタログに掲載されているような商品をおいそれと掲載するわけにはいかないなという自制が働く。
いま、ふり返ってみると、明らかにこわいもの知らずの発想、なんとまあ世の中を甘く見ていたことよとゾツとするのだけれど、時代の運が私の冒険を助けてくれた。
そうそう、有料の話が出たところで、ちょっと『リーダーズダイジェスト』(以下、リーダイ)の話にふれておかないといけないね。
『通販生活』の有料化を語る上で欠かすことができない存在に『リーダイ』があった。
『リーダイ』とは1922年に創刊されたアメリカの月刊誌で、そのときどきの新刊図書や雑誌記事のダイジェスト(要約)記事を柱とした家庭雑誌のこと。
アメリカ人は大のダイジェスト好きだから、この編集スタイルがウケてみるみる伸長し、勢いにのって世界各国に支社をつくって各国語版を出していた。
日本支社の設立は敗戦の翌年の46年。
敗戦直後の用紙難にあえいでいた日本の出版社を尻目に、アメリカから用紙を輸入して本国版『リーダイ』の記事を翻訳して掲載したから、アメリカ文化と活字情報に飢えていた当時の日本の読者たちにも大ウケして、ついてきて用紙も出回るようになり、ぞくぞくと新雑誌が創刊されるようになった。
当然、『リーダイ』の部数は急速に落ちていった。
その落ちこみをふせぐために、リーダイ日本支社は本社の指示にもとづいて、アメリカと同じ通販方式による販売、つまり、DMで定期購読者をつのって版元の日本支社から直接読者宅へ『リーダイ』を配送する方式を採用するようになった。
自分では当時自覚していなかったが、『通販生活』の有料化1カタログ雑誌化の潜在的ヒントになったのは、この『リーダイ』だったと思う。
無意識の中で、私は『リーダイ』の方式を模倣していたと思う。
ハガキによる購読申込み1日宅配達1振替による誌代支払いの3段階がそっくり通販の手続きを踏んでいるので、雑誌を購読させるだけで読者をおのずと通信販売感覚(業界用語では通販マインドと言う)になじませてしまうのが『リーダイ』だった。
したがって、『リーダイ』の読者は通信販売、通信教育に反応しやすい読者たちだった。
『リーダイ』の広告ページに通販広告や通信教育広告を出すと他誌に比べてとびきり反応率が高いという定評を確立していたのはこのためだった。
媒体そのものが通販商品になっている、それが『リーダイ』だったからだ。
日本版の『リーダイ』は本国版に倣って定期購読者募集DMだけではなくて、当時のベストセラー小説やノンフィクションをダイジェストした『名著選集』(58年〜)、あるいはレコード書DMの手法を普及させることで、『リーダイ』はわが国の通信販売や通信教育を近代化してくれる教師になった。
前述したように、七〇年代に入ってわが国の通信販売は1挙に花開いていくわけだが、DMの制作技術、商品の申込み方法、代金の回収方法、申込み率を上げるための特典づくり、リストの管理方法、有効リストのしぼりこみ方法といった通信販売に固有の技術をわが国の業界に教えてくれたのは『リーダイ』だった。
『リーダイ』のDMが私の通販広告づくりに与えた影響の大きさについては、以前にくわしく分析したことがあるのでここではくり返さない。
私の会社はもちろんのこと、いまを時めくベネッセもユーキャン(日本通信教育連盟)も、『リーダイ』のDM手法を学ばなければおそらく今日のかたちにはなっていなかったと思うよ。
しかし、創刊を考えてあれこれ模索していた時期に私が意識していた教師は、『リーダイ』ではなくて『暮しの手帖』だった。

新たなエスケーツーが、既にエスケーツーで承認された説明文書を変更していきましょう。
このような場合は、あえてSK-2のオーソドックスなSK-2説明文を避けてみるのも1つの手段です。
狭い、ドクターシーラボ専門領域の人に論理的にきちんとわかりやすく、しかもドクターシーラボは役に立ちそうとか読んで面白かったと思わせる能力は必要です。
今後のフェイシャル トリートメントに大きな変革をもたらす新しいフェイシャル トリートメント研究も急速に進んでおります。
エイベックスが好きということで、エイベックスを選ばれたそうですが、とても賢い選択だと思います。
ジェミー説明文の目標に関して次のように記していて少し長いが、ジェミー説明文をどのように教材として扱うかを考えます。
エーベックスはどんな事柄でも可とのことでしたが、実際のところエーベックスはどうでしょう。
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